マリーブリザール・アニゼットの誕生
マリーブリザール社の創業者、マリー・ブリザールは1714年に15人兄弟の長女として、ボルドーで生まれました。弟や妹達を育て上げると同時に独身であった彼女は、貧しい人たちや病気で苦しんでいる人たちの世話をするボランティアに身を捧げました。
ある日、マリーは路上で高熱のために意識を失っていた西インド諸島から来たトマという男を見つけます。当時、ボルドーはフランスで最も重要な港でした。トマは船の船員で、この船はアメリカやアフリカから砂糖きびや香草など多くの品物を運んでいました。マリーは彼を引き取り看病しました。そのお礼にトマは、彼のたった一つの宝物であった大変爽やかで、香高いアニスのリキュールの作り方を教えました。
この頃、リキュールは薬として修道士や司祭によって作られており、マリーもこのリキュールを病人の治療に使用したところ、効果はてきめんで、病人達は回復してからもこの治療を続けたがりました。アニゼット・マリーブリザールの誕生です。このマリーにアニスリキュール・アニゼットの秘伝を教えたとされる西インド諸島の黒人(クレオールだったのかも知れません)の伝説より、より現実的な説もあるでしょう。なにはともあれアニゼットの製造は18世紀半ばのボルドーでは珍しいことではなくなりました。海運業の発展は、バニラやシナモン、コーヒー、クローブなどの様々な香辛料をもたらし、さらに当時なかった砂糖きびから作った砂糖を使う習慣も持ち込みました。島々からきび糖の塊が、大挙して運ばれてきたのです。 活気づき発展した海運業の需要は、アルコールにも幅広い市場を与えました。アニゼットはラムやタフィア、カンキナ、オードヴィーに並んで、大西洋を渡る何か月もの航海を強いられる船乗りたちの馴染みの酒になりました。こうしてアニゼットの生産量は増え続けました。
マリーブリザール社の発展
港の発展に巻き込まれるかの様に、マリーブリザール社はやがてアニゼットや様々な良質リキュールを作る小さな業者の一つとなっていきました。
現在のマリーブリザール社の歴史は、マリーが、仕立屋の息子でリキュール商をしていた甥のジャン-バチスト・ロジェと共同で会社をつくった1755年に始まりました。マリーブリザール&ロジェ社はフランス植民地や外国へも輸出するようになりました。船荷を明記した数多くの書類や商工会議所の台帳からも、輸出に対する彼等の野望がうかがえます。書類にはアニゼットの買い付け籠数が残されていました。1763年初頭には、ル・フランソワ号がマルティニック島とサンドミング島へ120籠のアニゼットを運んでいます。
1766年以来、マリーブリザール社はカカオやアプリコットブランデー、ミント、ミュール(ブラックベリー)等のアニゼット以外のリキュールを作るようになりました。そして1777年、この驚異的な繁栄が記録に残りました。マリーブリザール&ロジェ社は、高額納税者番付でアルコール業界第一位になったのです。
ジャン=バチスト・ロジェの死後、マリーは彼の未亡人であるアンヌ・ブリザールと会社の経営を続けます。そして1801年2月に86歳でマリーが亡くなると、会社はアンヌとジャン=バティストとの間に生まれた3人の子供達とジャン=バティスト-オーギュスタン・ロジェ、バジル=オーギュスタン・ロジェそしてテオドール=ベルナール・ロジェに受け継がれました。
これ以降、マリーの甥ジャン-バティストの8代目の直系子孫であるポール・グロタン社長が引退するまでの200年以上もの間、マリーブリザール&ロジェ・インターナショナル社はロジェ家の子孫によって経営されて来ました。
現在のマリーブリザール
現在マリーブリザール社では、40をも越えるアイテムを揃えています。果実系、種子系、豆系、トロピカル系とカクテルをベースにしたチャールストンシリーズと多種にわたるシリーズを揃え、カクテルから製菓関係まで様々な用途に適したリキュールを揃えてきました。マリーブリザールは最も世界で愛用されているリキュールメーカーの一つです(世界約130カ国で愛飲されています)。祖国フランスでは有名ホテルの一流バーに採用され、高い評価を得ています。IBA(INTERNATIONAL BARTENDARS ASSOCIATION)認定のオフィシャル・リキュールとして世界中の大会で愛用されています。